秋田家庭裁判所大館支部 昭和32年(家イ)63号 審判 1958年5月19日
申立人 五条良子(仮名)
相手方 五条弘一(仮名)
主文
申立人と相手方とを離婚する。
申立人と相手方との間の長女里子(昭和二九年○月○○日生)の親権者及び監護者を申立人とする。
相手方は申立人に対し、長女里子の養育料として昭和三三年五月から里子が中学校を卒業するまで毎月二、〇〇〇円宛を毎月末限り申立人の現住所に送金又は持参して支払え。
相手方は申立人に対し、申立人所有の表銘仙、裏木綿布地の掛布団一枚、表モスリン、裏木綿布地の掛布団一枚、格子縞木綿布地の敷布団一枚、茶色ズック製布団袋一個を引渡せ。
当事者双方は互に離婚に基く財産分与その他一切の請求をしてはならない。
調停費用は各自の負担とする。
理由
申立人は主文同旨の調停を求め、その原因である事実関係は「申立人は相手方と昭和二九年○月○○日頃から内縁関係を結んで東京都内で同棲し同年○月○日婚姻届出をなし、同年○月○○日長女里子を出産したのであるが、婚姻以来相手方は勤務先からの収入を祿に家計に入れてくれないので申立人が○○社に勤務しその収入を家計の助けにしていたところ、ことごとに申立人に対して脅迫的態度に出ていじめるので申立人はいたたまれず昭和三一年○月○日頃相手方の許を逃げ出し里子を連れて実家である秋田県北秋田郡○○町○○町字○○小島定松方に帰つた。その後相手方は、昭和三二年○月頃、一度前記○○町の実家を訪ねて来たことがあつたので、その際申立人は相手方に対して田舎で生活しましようと頼んだが、相手方は絶対東京で生活すると云つて単身帰京しその後は何等の交渉もなく、一文の生活費も送金してくれないで現在に至つている状況で、相手方とはもはや婚姻継続の意思が全くないので離婚を求めるとともに、申立人が長女里子の親権者として同人を養育することは容易でないので相手方にも養育料を負担して貰いたく、申立人所有の布団類を相手方の許においているので一日も早く返して貰いたいため本申立に及んだものである」というのである。
当裁判所は昭和三二年八月二九日第一回調停委員会を開き以後六回にわたり調停を試みたところ、相手方は勤務先の仕事や旅費などの関係で右調停委員会に出頭することができないと申立て一回も出頭しないので、止むを得ず東京家庭裁判所に本申立事件に対する相手方の言い分の調査を嘱託したのであるが、右東京家庭裁判所から当裁判所に対する昭和三三年二月六日附及び同年三月一七日附回答書添付の調査報告書の記載によると、相手方の主張の要旨は「申立人は相手方が東京都内で運転手として月収一万五千円の貧しい生活をしているので勝手に田舎に帰つたのであつて申立人の本申立にはいささか不満であるが、申立人と離婚すること並に離婚に基く財産分与その他一切の請求をしないことについては文句はない。申立人が子供里子を引取ることについても異存はないが、その養育費として差当り毎月二、〇〇〇円を送る積りだが、毎月末までにきちんと送れるかどうかはつきりしたことは云えない。里子が中学校を卒業するまでの長い期間中送れるかどうかもはつきりしたことは云いかねる。布団三枚は昭和三三年一月中頃までに申立人の所に送る」というにあつて、そのため申立人は布団三枚を送り返して貰うため布団袋を相手方に送付したにも拘らず、相手方はその布団三枚を返さないので調停は成立するに至らなかつた。
しかし本件調停の経過からみるとき、申立人が実家に帰つた原因が当事者の主張の中いずれにあるかはしばらくおくとしても、申立人が実家に帰つて以来今日に至るまで何等の交渉なく、一文の生活費も送金しなかつたことが明らかであるから、本件当事者が夫婦であるといつてもそれは単に戸籍上の形骸であつて、法律上の夫婦の名において申立人と相手方を結びつけておくことは、夫婦が同居して互に協力し扶助し合わなければならない婚姻の理念に反すること明らかである。したがつて当事者をしてこのまま不自然な婚姻を継続させるより離婚させ、里子は未だ幼年者であるから相手方よりも申立人を親権者にして監護させ、その代り相手方はその地位収入状況から判断して少くとも里子が義務教育である中学校の課程を終るまで毎月二、〇〇〇円を毎月末までに養育費として申立人に送金し、相手方が所持している申立人所有の布団三枚、布団袋一枚は申立人に引渡すとともに、当事者双方が互に本件離婚に基く財産分与その他一切の請求をしないのが相当であると認める。
よつて家事審判法二四条により主文のとおり審判する。
(家事審判官 池田修一)